参考までにアマゾンのレビュー12件にざっと目を通したけど、
うまく要約してる2件以外は、ちょっとずれてる気がした。
生物(例えば人間)にとっての情報と機械にとってのそれとは
原理的に異なる。機械がどんなに複雑・精巧に作られていても、
プログラムがどんなに大規模でも、道具にすぎない。
実際、PGやSEでシンギュラリティを本気で信じてる人、いないんじゃないかな。
お話としては、井上夢人著「パワー・オフ」がよく出来てる。
99年の小説だから古いけど、プログラムコンバータを遺伝アルゴリズム
で進化させている最中にウィルスが混入、人工生命が誕生して
ネット上に増殖、人間とのコンタクトを試みる。
西垣さんの本に戻ると、
シンギュラリティの議論を理解するには、西欧の文化的背景を知るべき。
人工知能はありえない。AIではなく、IAとして利用すべき。
文系・理系の枠を超えた教育の重要性。
その通りだと思う。
ただ、技術の発展が私達の生活を豊かにする、という前提が引っかかる。
例えば、ビッグデータを活用することで、個人消費を掘り起こして
経済を活性化したり、災害に備えたり、という話。
センサーを至るところに設置しネットワークで結び、
機械学習によって莫大な量のデータを処理する、っていうけど、
それによって得られる便益は、コストを上回るのかな?
コストというのは、地下資源の減少と廃棄物の増加、
戦争(効率的な大量虐殺)への転用のリスク、
発展途上国で悲惨な条件のもとで働く人たちの労力。
これまでの技術の進歩は生産・消費のサイクルを加速し、
経済成長を促してきたけど、これからはもう無理じゃね?
資源と市場が無限にあるならそれでもいいけど、
地球はひとつしかないんだし。
新たに生産するよりも小さなコストで、今あるものを
再利用する技術や仕組みを開発するほうが大切な気がする。
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